第1回

Special Interview  | 三村 真宗 

人が取らないようなキャリアを歩むことで、

自分らしさや特徴を出していく

三村 真宗

MASAMUNE MIMURA

株式会社コンカー 代表取締役社長

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三村真宗氏は、コンカーの代表取締役社長であり、ジャパン・クラウド・コンピューティングのアドバイザーでもある。三村氏は慶應義塾大学卒業後すぐに、SAPジャパンの立ち上げを経験している。さらにマッキンゼー、自らの会社Better Place Japanの起業、ジョイントベンチャー(以下、JV)を活用したコンカーの立ち上げと、グローバルな活躍を重ねてきた。そんな三村氏に、これから外資系法人の社長を目指す人たちが知っておくべき視点や考え方について詳しく訊いた。

多くのプロダクト立ち上げ経験の中で学んだ組織作り

 大学時代、終身雇用制が崩れると予測を立てていた三村氏は「会社に隷属するのではなく、自分のスキルでやっていけるプロフェッショナルな人材になりたい」と考えていたと話す。


「日本企業への就職は‟会社に就社する”という印象が強くありました。僕は自分のスキルでやっていきたいと考えていたので、就職先を外資系に絞って探していたんです。ITについてはそれほど強く意識していたわけではなく、外資系コンサルティング会社を中心に回っていく過程でSAPと出会いました」 


 1993年に慶應義塾大学を卒業し、ドイツに本社を持つSAPジャパンに一期生として新卒入社。この時、日本にはまだSAPのオフィスはなかったという。


「卒業後、3月31日にはドイツの本社へ行き、新卒ながら中途採用向けの研修に参画。半年間のトレーニングを受けました。また、研修でSAPのソフトウェアについて学びながら、空き時間を利用して『SAP R/3』という業務系ソフトウェア(ERP)の日本での製品化プロジェクトの一員となり、仕事もしていたんです。 


 10月に日本へ帰国し、日本オフィスの立ち上げに入りました。当時、日本にはまだSAPが何もなかったので、プロダクトマネージャーから導入コンサルタント、サポートなど、本当に何でもやりましたね」


 製品責任者と導入をメインに技術系の仕事に携わっていた三村氏。6年ほど経った頃、会社は業務系とは別に、分析系事業を立ち上げることになる。
「業務系と分析系はビジネスのリズムが全く違うんです。このため新規事業はインターナルカンパニーとして立ち上げる方針になりました。そこで営業からマーケティング、導入まで全てのチームを束ねるよういわれたんです」
 それまでの経験と実績を評価された三村氏は、29歳にして事業本部長に就任。約30名の事業部をリードすることになった。 


 新規事業の立ち上げに邁進して1年が経った頃、藤井清孝氏がSAPの2代目社長に就任。別業界から来た藤井氏は「若くてSAPのことに詳しい人を補佐に付けたい」と要望し、三村氏が社長室長に就くことになる。


「その頃、SAPの業績は落ちていたし、社内的にも1,000人規模になっていて、気付けば構造疲弊が起こっていました。そこで藤井さんと一緒に会社全体のビジョンやミッション、コアバリューなどの軸を決めていったんです。またマネージャーと一緒に泊りがけの合宿を開催して戦略を練ることもありました。2年くらいは、そのような形で社長室長をしていましたね」


 そこから三村氏はCRM(Customer Relationship Management)の立ち上げ責任者になり、高い評価を得て、人事管理システムHCM(Human Capital Management)、ミドルウェア製品「NetWeaver」の立ち上げ責任者にもなった。そして、こうしたプロダクトの立ち上げを5~6年経験した後、マッキンゼーへと転職したのである。


「SAP日本法人立ち上げの経験から、組織作りに強い興味を抱くようになりました。SAPの製品は会計から人事まで多岐にわたります。だから、自分の担当以外の分野もそれなりに勉強しなければならないんです。この頃から本を読んで学ぶことが習慣になりましたね。新しい事業の本部長になったタイミングでは、マネジメントやリーダーシップの本を読み漁って組織作りについて学び、それを愚直に実行していったらとても上手くいきました。


 特によく覚えているのは、ERPとは別の製品ラインがSAPとして初めてできたときです。『これをSAPの第二の柱とするんだ!』というビジョンを打ち立て全員に共有した結果、一丸となってとてつもないパワーを発揮することができたんです。他の部門から『あそこはちょっと宗教的だ』といわれましたが、求心力が強い組織はどうしても宗教っぽくならざるを得ないんですよ。この時の経験は、とても学びになりましたね」


 本に書かれていることを愚直に実行した、と軽く話す三村氏だが、それは口でいうほど簡単なことではない。しかし、それを実行できる三村氏は、揺るぎない信念と同時に仲間を思いやる気持ちと、チャレンジを楽しめる素質も兼ね備えているのだろう。

人が取らないようなキャリアを歩むことで、自分らしさや特徴を出していく

 三村氏は自らの体験の中で「“逆のキャリア術”が自らを成長させ、成功へとつながっていった」と話す。


「SAPの2代目の社長・藤井さんが、よく『Take Smart Risks(リスクは焦って取るものではなく賢く取るものだ)』という言葉をいっていたんですね。僕はその考え方にすごく共感できて、‟逆のキャリア術”というんですかね、人が取らないようなキャリアを歩むことで、自分らしさや特徴を出していく感覚が常にありました」


 さらに三村氏は自分のキャリアを振り返り、一つのターニングポイントになった言葉を思い出す。


「30代の後半に、ある経営者から『君の背骨はあるのか?』と聞かれたんです。その時は正直、僕には背骨といえるものはなかった。僕はいろんなことをやってきていて、SAP、技術職、事業立ち上げ、経営企画、コンサルタント、みんなそこそここなせるんです。器用なんだと思いますが、器用貧乏になってしまっていて‟自分はこれだ”という強みや柱がなかった。だから、その経営者の方に『40歳になって背骨がない人生はつらいぞ』といわれて、そこで考えましたね。


 自分はスペシャリストかゼネラリストでいえば、間違いなくゼネラリストです。だから一流のゼネラリストを目指そうと思った。ビジネスパーソンのゼネラリストが行きつく先はどんな職業かと考えたとき、それは「社長」でした。それからは明確に『40代前半で社長になりたい』と思ってやっていったんです」


 明確な目標を定めた三村氏は、そこに向けて必要だと思うことと真摯に向き合っていく。その一つが英語力だ。外資系企業の中である程度の語学力は身についていたが、やると決めた三村氏の向き合い方は愚直である。
「勉強をするにあたり、まずはメタ的に考えました。始めに英語の勉強法を研究したんです。英語力をスピーキング、ヒアリング、リーディングに分解して、それぞれどういう勉強法があるのか、ひと通りの情報を集めてから勉強をスタートさせた。


 それからピーター・ドラッカーが『継続なくして改善なし』といっていたように、僕は1年間TOEICを毎回受け続けました。毎回受けていると、2、3ヵ月ごとにスコアが上がっていくことが励みになるんです。起きている時間は英語のリスニング、リーディングをして、土日はTOEICの練習問題をやって自己採点をするなど、受験生のような1年間を送りましたね。もちろん仕事もしていましたから、隙間時間や自分の余暇の時間、週末のリラックスできる時間の全てを勉強に充てていました」


 もともとTOEICは795点だった三村氏だが、満点を目指し勉強し続けて、見事945点を獲得。さらにこの頃、英検1級も取っている。そうして一つの自信を付けてから英語のビジネス書を読み込めるまでになっていったのだ。


 一方、経営者としての勉強は本を読んだり意識をしたりするなど、英語ほど体系立ててやったわけではない。それでも、いくつもの新規事業の立ち上げの中で、三村氏は独自の経営理論を形成していく。


 そんな三村氏の起業は、ある一つのアイディアから始まったという。当時、三村氏はイスラエル系のアメリカの会社で電気自動車のスタートアップをやっていた。電気自動車のバッテリーを交換するインフラ提供会社だ。
「独立したときは、今でいうUberのようなサービスを提供しようと考えていたんです。車に搭載したスマホを通じて地図上のどの位置にいるのかをモニタリングし、利用者とマッチングする仕組みです。一昔前のマッシュアップの考え方ですね。たとえば車の位置情報と地図情報は、昔だったら地図情報から作らなければならないから大変だったわけですけど、今はGoogleマップにデータをマッピングしてしまえば、すぐに使えるんですよ」


 すでに存在する二つの技術を合わせる単純な仕組みでありながら、これまでありそうでなかったユニークな発想。それを三村氏は、わずか100万円程度で制作したのである。「これはビジネスになる」と思っていたところ、大手の輸送業の社長から「これを商用化して欲しい」と要望される。


「依頼者は『三村さんの会社でやって欲しい』といってくれていたので、自分の預貯金を全て取り崩して会社を設立したんです。そのとき資金調達を仰ぐために事業計画書をがっちり作り、プロトタイプも作って、ベンチャーキャピタルを訪ね回りました。そのうちの1社がサンブリッジでした。そこでCEOのアレン・マイナーさん(現 ジャパン・クラウド・コンピューティング 会長)[AS1] に相当気に入っていただいて、話は前向きに進んでいました。しかし、方法に課題があることがわかったんです」


 三村氏のアイディアは、当時の 3G回線を使ってスマートフォンから自分の位置情報を飛ばすという発想だ。しかし、スマートフォンの通信には制限があったのだ。


「パケット使い放題の契約をしていれば、パケットは無制限だと思っていたのですが、使い放題でもさすがに限界があるらしく、無限には使用できませんでした。そうなると位置情報の粒度が荒くなるので配車サービスには適さない。技術的な課題にぶつかってしまいました。


 それから、もう一つ問題がありました。それはベンチャーキャピタルで投資契約した場合に失敗すると、代表がお金を返さなければならないことです。今はなくなってきているようですが、融資を受ける場合には、代表に“連帯保証の無限責任”が残るんです。つまり、失敗したら再起不能になってしまうということですね。そこで自分の事業としてやることは、一度打ち切ろうと決めたんです」


 素晴らしい着想だったものの、当時の通信技術や契約などの事情もあり、三村氏は事業立ち上げを断念した。しかし、その際にアレン・マイナーさんから「コンカーのポジションがあるからやってみないか?」と声をかけられたのだ。


 三村氏は早急にコンカーの資料を探して勉強した。当時はコンカーの日本語サイトがなかったため、英語サイトからダウンロードしたところ、ダウンロード後にシンガポールの本社からフォローアップの電話がかかってきたこともあったという。


 コンカーに入った理由を「ご縁です」と三村氏はいい切る。


「自分のスタートアップが失敗して、少し意気消沈していたので、羽を休めていた時期でした。その時期に“向こうからご縁が降ってきた”と感じました。ただ、それは羽を休めていたからご縁が降ってきたわけではなく、色々なリスクを取って駆け回ってきたからこそ、生まれたご縁なんです。『先を読むことはできないけれど、後から振り返ると、点と点が将来つながる』と話したスティーブ・ジョブズではありませんが、自分がやってきたことの点と点が線になって、良い縁に巡り合えたのだと思っています」

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